白馬村と大町市の中間、
仁科三湖の木崎湖にあるレストラン。
地元のファミリーや常連客の多いお店です。
外観からはちょっと入りにくいお店ですがお年寄りや小さいお子さんでも気軽に入れるレストランです。
ドライブやスキー・スノボで通りがかったときは是非お立ち寄りください。
お得なランチもありますよ。

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タルトタタンのレシピと作り方


タルトタタンの作り方     

ルセット456

① 材料を用意する。② 24センチの厚手の鍋を用意する。

③ リンゴの皮を剥き芯を取り8つ位のくし型に切る。④ 鍋に薄く切ったバターを敷きグラニュー糖を全体にふりかける。
⑤ 鍋の外側からキッチリと隙間ができない様にリンゴを並べる。(しっかり隙間を埋めないと入りきりません)
⑦ 中火にかけボウルやマンケなどで蓋をして沸騰してきたら弱火にする。

⑧ 1時間位するとリンゴが鍋の高さ位まで沈んでくるので、ターナーなどで

   押し付け隙間をつぶしながら平らにならす。外側の鍋肌に当たっている

   縁の部分は少し下へ押し込むように押さえる。

   以上を繰り返しながら鍋の位置を回転させながら均等に焼き色がつくようにして

⑩ 4時間位で縁がカラメル色になってきたら、さらに火を弱くして(消えそうなくらい)

⑪ 2時間程かけて焦がさないように注意をして縁のカラメルが固くなってくるまで




⑫  ブリゼを2ミリ位の厚さに伸ばし円く切り抜いて冷蔵庫に入れて置きます。オーヴンを230度にしておきます。

鍋が冷めたらブリゼを被せ、手でしっかり密着するように押さえ


レシピ13


⑬ 鍋が半分位浸かるように湯せんをしたバットに入れ、オーヴンで

   12分から15分、しっかり焼き色をつける。

焼き色がついたら取り出し、完全に冷めたら冷蔵庫に入れ一晩、5時間以上

   しっかり冷やし固める。(充分に冷やさないと鍋から取出すときに崩れる)

⑭ 底板とケーキプレートを用意しておき、冷蔵庫から出した鍋を 強火にかけ縁が沸々して 

   浮き上がってきたら、鍋を前後に揺すり中身が動き始めたら小さく円を描くように

⑮  揺すり、鍋との間に隙間ができてきたら底板をのせ揺すりながらひっくり返し

   鍋から抜く。火傷をしないように注意!

⑯ ナイフを熱湯などで温めながら前後に動かしゆっくりと切り分ける。

   厚さが30ミリ弱、重さが 1.3キロ位になっていれば大成功。


タルトタタンのビストロみぃーやのページへ 

タタンマクロ  

看板01

タルトタタンの魅力

タルトタタン?何それ

街を歩く人100人に聞きました。「あなたはタルトタタンを知っていますか?」

場所とか年齢、男女によってもずいぶん違うだろうし実際にアンケートを採った訳ではないので、メチャクチャ〔いいかげん〕ではあるけれども一人か二人ではなかろうか。

「知っている・聞いたことはある」と答えた人も(リンゴで作ったアップルパイ)ということまではっきり言える人はその半分以下。

あなたは、どう思います?

さらに、質問を続けて「タルトタタンを食べたことは有りますか?」これはガツンとダメ押しな感じですねぇ。
ほぼ、ゼロに近いですねぇ。

だいたい、普通に生活していてケーキ屋さんの前を通てもほとんど見かけません。(生活圏に有名なパティスリーが何軒もあるなら別)たまに、テレビのグルメ番組でレストランのデザートの一部に(何とかのタタン風)なんてのがチラッと耳に入る程度、あとは女性誌のスイーツコーナーで、たまーに見るくらいかな。

そんなタルトタタンですから一般の人の認知度が低いのも仕方ありませんネ。
だいたい、ここ十年くらいでしょうか少しメジャーになってきたのは。
私が初めて出会ったのは1984年、南青山のFIGAROでした。
ヨーロッパに居た頃もあまり知らなかったですし、パリでも食べたこと
なかったなぁ。(お恥ずかしい)

とにかく、ココを見ている貴方は相当なグルメに違いありません。
世の中に(日本)もっとタルトタタンを広めていきましょう。


タタン姉妹の失敗作

タルトタタンの誕生について、色々な説があります。

時は18XX年、フランスはパリの南西100キロ、ラモット・ブーヴロンという小さな村のホテル・タタンでのこと。

一番有名なのが、リンゴを煮ていたら忙しさのあまり
ついつい焦がしてしまって仕方がないから、上からパイ生地をのせてオーヴンで焼いて、ひっくり返してみたら焦げたリンゴタルトになってしまって、なんか美味しそうだし、このまま出してしまえ(多分こんな事だろうと思う)と お客様にお出ししたら大うけした。と言うもの

もう一つは、いつものようにリンゴのタルトを作ろうとして、タルトの型にパイ生地を敷かずに、直接リンゴを詰めてオーヴンに入れてしまい (ありえねぇ。リンゴのような水分多いものは生地を空焼きしてからリンゴを詰めるのが普通だが) あわてて上からパイ生地を載せて、上下さかさまになってしまったものをひっくり返してみたところ見事にキャラメリゼされたタルトが出来た。と言うもの

さらに、実はこの地方では、こういう作り方がもっと昔からあったというもの(トップページ参照)

何れにせよ、タルト・オー・ポンム・ランベルセ、ひっくり返したアップルパイは世界中に広まって行くのである。

ジャジャーン♪

しかし、タタン姉妹も百数年後に東洋の島国のこんな田舎でタルトタタンが作られるとは思わなかったろうなぁ。
ブツブツ・・・・

なかなか、面白い逸話ですが、なんかツッコミたくなる嫌な性分でして、いずれ検証してみたいと思います。

苦いのがお好き


焦げたリンゴをお客さまに出すとは、たいした度胸です。 作った人はまだしも、お客のところ

まで運んだ妹がすごい。 普通ならこう言います(普通でなくても)「姉ちゃん、ヤバクねぇ。これ」

しかし彼女らはお客に出した、それも

な、な、なんと、よく見えるように、焦げたところを上にして!!

アッパレ、タタン姉妹。

これを見れば納得いくかもしれません

http://www.hotel-tatin.fr/tarte_historique.php

えー。

ココで彼女らの名誉のために、補足をしておかなければいけません。

ヨーロッパの人たちは、苦いものが好きです。 コーヒー、エスプレッソですね、

チョコレート、ビターの苦いの。 サラダなんかでもアンディーブ(ベルギーチコリ)やクレソン、

トレビスなどなど、ハーブやスパイスなんかも、そのまま食べると相当苦いですから、

日本の食べ物で苦いもの、あんまり有りませんよね。正露丸とか?

そんな人達ですから、焦がしたリンゴのタルトが口に合ったんでしょう。

ココまで読まれた方は、もう、お解りになりましたか?

そうです。タルトタタンの魅力は、焦げた苦味だったのです。

ということは、タルトタタンは焦げてなければならないと言うことですよね。

でも、ただ単に焦がしてしまうと炭化してスミみたいになってしまいます。

そうなると、苦味を通り越して口の中で溶けないのでザラザラ、ジャリジャリ、うまくも何にもなくなります。



リンゴのキャラメリゼ

普通、キャラメル(カラメル)といえば、お菓子のキャラメルですよね。

あれは、お砂糖と牛乳、生クリーム、コーンスターチ、水あめ、バターだったかな。

最近では、〇〇牧場の生キャラメルが有名になったけど(元祖ではない)。

とにかく、砂糖を煮詰めていって150度から160度になるとカラメルになるといわれてます

それ以上温度を上げると焦げてしまいます。 真っ黒になるわけです。

ステファン・タタン(姉)は、偶然にもその調度いいあんばいの焦がし方をしたということなんでしょう。

ただ、それを意図的にやろうとすると火加減が非常に重要になってきます。

お砂糖だけを焦がすのではありません。

リンゴから出た汁をキャラメリゼするのですから温度はもっと低いと思います。

それと、きれいに色が付けばいいというものでもありません。

じっくり時間をかけてキャラメリゼしなければ出来上がった後から水分が出てきて

せっかくのパイ生地がビショビショなりますから、

とにかくタルトタタンの場合は徹底的に水分をとばして、りんごから出る蜜汁をキャラメル化して、おいしーい苦味を作り出すことが重要だと思います。


日本にはいつごろ 1


それまで、パリからオルレアン(地方都市)までしか来ていなかった鉄道が1847年に開通し、人口800人の村はその後10年で2倍になっている。

鉄道が開通すると間もなく、ナポレオン3世はソローニュ地方の農業改革という大事業に着手し、それまで貧しい村だったラモットブーヴロンも開発され駅前は整備されて

人口も倍増し、お店や宿泊施設も出来始め、田舎の村は突然賑やかになり1888年、ホテルタタンが開業。

其の時、姉のステファンは51歳、妹のカロリーヌは41才、結構な年齢ですネ。

パリからは、狩猟を楽しむ金持や地位の高いお客が、大勢やって来るようになり

テンヤワンヤのなか、例の「失敗アップルパイ事件」が起こってしまうのであった。

失敗が失敗に終わらず、ホテルの看板デザートとして残ったということは、

それを食べた客達が気に入ってリクエストしたということ。

そしてそれだけに留まらず、パリに帰って自分達のお抱えコックに作らせたらしい。

この時点から「失敗アップルパイ」は「タタンおばさんのひっくり返したアップルパイ」としてデビューしたのだが、もっと有名になるのは、もう少し先のこと。


日本にはいつごろ 2


食通で物書きのキュルノンスキーが1926年にフランスの全土の地方料理を世に紹介した。

もちろん、タルトタタンもその中に含まれていて、パリの有名なレストランでも人気のデザートなった。

古き良き時代、その最高の時を歩んでいたパリの『マキシム』で提供されることになったタルトタタンは超一流の料理人達によりさらに進化を遂げ、

当時の世界最高のレストランの看板デザートになり そこから世界中に広がっていく。

1960年代、九州出身のI氏は早大、仏文科を中退してフランスにいた。


つづく

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